尊敬に値しない無能な「上司」に悩まない対話術【福田和也】
福田和也の対話術
■敬語は人間関係を区分する
関係性を無意識のうちに形づけてくれる敬語は、なかなか便利なものですが、その便利さは同時に大きな弊害をもたらします。
私は、無意識であることについて、かなりしつこく難じてきました。無意識であるということは、言葉についても、話し方についても、自分と相手の関係についても、多くの事物に無自覚であるということを意味するからです。
大人であるということは、意識していないこと、意識したくないことについて、明確な認識をもとうと試みること、そのような意図のもとに、自己と他者と世間を見つめることです。無自覚であること、自分の立場や位置について認識が甘いということは、それだけで恥ずかしいことであると銘記する勇気と緊張こそが、大人である証(あか)しなのです。肝心なところをあいまいにしておいて平気な鈍感さや、認識し考察する緊張に耐えないのならば、世間で旺盛に生きることはできません。
話を戻しますが、敬語には、こうした意識を鈍磨させてしまう要素があるのですね。つまり機械的に敬語を使用しているうちに、相手に対する認識が甘くなってしまうということです。
これは敬語の人、これはタメ口の人、と使い分けているうちに、各人にたいする値踏みを、発話のうちに盛り込んでいけなくなってしまうのです。
敬語とは、人間関係を区分することによって成り立っている言葉です。区分するというのは、敬語を使うべき相手と、場面、立場を分けるということです。
ただ、云うまでもないですが、この区分けというのは単純で硬質なものではないのです。
バイトの時は敬語を使うとか、職場では敬語を多用するといった、単純な問題ではありません。というよりも、そういうマニュアル的な世界での言葉遣いは、さほど問題にはなりません。無論現代人たる私たちは、多かれ少なかれマニュアル的世界とかかわりなしには生きていけないわけですから、仕方がないのですが、だからこそマニュアル的な話法にたいして、常に緊張をもっていなければならないのです。
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